title2.png
尚美学園大学 総合政策学部 ライフマネジメント学科 スポーツコース 江頭ゼミ

JACPA.gif

2014.7.15

JACPA-MV.jpg

学生時代

 大学時代もずっとサッカーをやってきました。大学サッカーのイメージは、高校の延長線で、みんな真剣で上手い子が沢山いて、指導者もしっかりしているというものでした。しかしイメージとは違っていました。はっきり言って失望しました。もうこんなんだったら先は無いなって思ったのです。サッカーがつまらなくなりました。ずっと子供の頃からやって来て初めての事だったんです。でも、そこで腐らなかったのは先輩の存在でした。「環境や指導者に不満があって部を辞めたり、他の道に行くのは簡単だと思う。でも、文句があるならまずはこのチームで一番になれ」って先輩に言われて、そこでもっとやってやろうって思ました。それがキッカケで僕自身変わろうと努力しました。その結果4年生になった時には、チームの中で1番の選手になれたと自分では思います。

 大学4年生の最後まで選手としてサッカーをしました。現役の間就活は1度もやってこなかった。部活を引退してからは、もう指導者になることしか考えなかったから、サッカーの練習に出ることはもう無かったです。12月の中旬ぐらいに初めて就活をして、年明けアントラーズのコーチに就職が決まり、卒業前にライセンスを取得しました。

 大学時代サッカー以外で、やっておけばよかったと思ったのは、外国語ですね。これは社会に出てから困りましたね。アントラーズにはブラジル人が結構いるんですよ。アントラーズで働いていた時の先輩に、ポルトガル語とスペイン語を話せる人がいて、ブァンフォーレ甲府から来年こういう外人をとろうと思っているんだけど、通訳をやらないかって話を貰っていました。Jのクラブチームには外国人の選手が結構いるので、仕事に就いたときに外国語が武器になる。サッカーのレベルや指導力が同じなら、外国語力で一歩リードできる。その現実に直面して、はっきりわかりました。もしかしたらいろんな場所で通訳とかありますし、今は分からないけど今後もしかしたら海外のクラブに行けるチャンスがめぐって来るかもしれない。だから外国語をやっておけばよかったと思いました。

指導者になろうとしたきっかけ・今やっていること

JACPA-02.jpg指導者になろうと思ったきっかけは、高校の時に三菱養和というクラブチームで素晴らしい監督に出会った事です。有名なクラブチームの監督を経験した人で、監督の事を選手全員が尊敬していました。監督の言った通りにすると試合に勝てる。選手誰もがその監督のような人になりたいと思っていました。尚美学園大学を卒業してから3年間は鹿島アントラーズのジュニア・ユースのコーチをしていました。今はスクールのコーチと、JACPAの中学生のコーチをしています。

 指導者をしていて大事にしている事は、言葉を選ぶ事です。例えば何かミスをしてそのことに対して納得させるように、選手一人一人の性格を考えながら言葉を選んでいます。あとは挨拶ですね。僕は過剰な挨拶はあんまり好きじゃない。サッカーは相手がいるから試合が成立するわけで、「お願いします」「ありがとうございました」そういう人として最低限な事を、何も考えずに行動する様ではだめなんです。体育会の人は、無条件に大声で挨拶をすればいいと思っている。何故挨拶をしなければいけないのか?というとこまで教えていけるようにしています。子供達の成長を見ているのが凄く楽しいです。

 将来は自分のチームを持って、自分の考える「サッカー感」を教えて全国優勝したいです。JACPAでチームを持って結果を出すというのも大きな目標でやりがいはあります。その後は次のステップとして、やっぱりJクラブに戻ってJクラブで結果を残したいと思っています。


アントラーズからJACPAへ 悩んだこと覚悟

JACPA-face.jpg去年夏ぐらいからアントラーズで年に何回か選抜チームを持ち試合してきました。その時に、自分がやりたいのは『こういうのだ』と感じチームが持ちたかったんだと気づきました。鹿島アントラーズはJクラブの中でもTOPチームだと思います。でも自分が見ていたのはチームではなく、スクールでした。そこで学ぶ事も大きいし、他で学べない事もありました。Jrチームでは、ただ親が子供に運動をさせたいから入れたり、鹿島アントラーズの選手にならせたい。という親もいる。そんな風に、一人ひとりの見ている方向が違うと、チームにはなりにくいんです。毎日子供が曜日ごとで変わり、スクールだから求められている事が限られてくる。最初の頃は良いと思っていましたけれど、スクールのコーチをしていく間に、自分のチームが持ちたいという意欲が日に日に増して来ました。そのまま鹿島アントラーズにいても学ぶ事はあるけれど、年齢だけ重ねても自分がやりたいことを、やれないままいるのもどうかと思うようになった。鹿島アントラーズは外部から入った人が、チームを持てる可能性はほぼ0に近いんです。だったらチームを持てる可能性がある所に、移動した方が自分がやりたい事ができると思いました。アントラーズのコーチというポジションは魅力的でした。しかし自分のチームを持って、勝敗にドキドキしたい。自分の気持ちにウソはつけませんでした。考えた結果、他のチームに移動することを決めました。鹿島アントラーズを辞めてJACPAに来て、ものすごい覚悟を持っていますし、やるからには全国で一位にならなきゃいけないと思っています。JACPAの子供達には常に毎日、その言葉を言っています。でもまだまだピンとこない子が多いんですよね。そういう子達は小学生の時に全国という舞台を知らないし、感じた事も無いからかもしれません。だから、自分が全国に行きたいと言っても、そこでギャップが生まれてしまうんです。具体的にイメージできていない。全員の意識がまとまらないと、チームとして機能しないんです。そのギャップを埋めるために長い時間をかけて、鹿島アントラーズのTOP選手や同年代の選手の話しをよくします。そういう話しをするとJACPAの子供にも少し変わったり、感じる部分があると思って話しています。結果が、変化のスピードを変えると思います。勝つこと、勝てなくても、自分たちの進化を実感すること、そうすると、いい回転になると思います。今は、僕自身も、子供たちも苦しい時期、希望と、目標を持ってここを突破したいです。


大切な事は準備

大学時代指導者が不十分で、チームメイトのモチベーションにも問題があって困っていました。ですが、自分の取り組み方しだいで環境の悪さは視野に入らなくなりました。毎日同じメニューを与えられても、終わった後に自分で独自にプラスアルファー何か練習したり、こつこつ続けていくことで自信がつきましたね。自信がついたおかげで、何も怖いものは無くなりました。相手関係なく同じパフォーマンスができるようになりました。自分が納得するまで追い込んだので、プレヤーとしてサッカーのへの未練はありません。素晴らしい結果は残していないけれど、やり残したことはありません。ただ一度、去年のJリーグの最終戦に目の前でサンフレッチェに優勝決められた時は、またプレーしたいなと思いました。

 サッカー指導の世界でも気が利くか否かが大事です。それが普通の会社だとしたら上司に「これやっといて」と言われてもプラスアルファー何か出来るようにしておけばいいと思います。しかしそれが裏目に出てしまう事もあると思う、それが準備だと思います。言われた事しか出来ないと、自分が成長しないし評価もされない。だから、言われていない事まで、気を利かせてプラスアルファーをする、上司が望むことができるかどうか、たくさんの準備をして状況を見ながら変えられる。それが経験力だと思います。でもその力をつけるには、たくさんの努力と失敗が必要です。指導だと、あいつはこんなメニューも出来るし、こっちが要求してきたこともしっかりとこなすことが出来る。なぜなら、あいつは結構いろんなことを準備しているし、いろんなアイディアを持っているとか。あらゆる状況を理解して、自分のものにしておくことが大事です。

学生へのアドバイス

 例えばちょっとでも、こういう所に行きたい、こういう所で仕事したいという思いがあるんだったら、絶対チャレンジした方がいいと思います。自分で入りたい会社に電話して、「ちょっとそちらに入りたいんですけど」とか話してみたり。絶対そういうアプローチはした方がいいですね。恥ずかしいとか、気まずいとか。かっこ悪いとか、そんな世間体で自分の人生を台無しにするべきではない。自分の意志に正直に出来ることは全部する。そういう姿勢を大切にしてほしいですね。


<取材・編集/ 塚越 文哉、鎌田寛人、黒瀬 晴香>