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尚美学園大学 総合政策学部 ライフマネジメント学科 スポーツコース 江頭ゼミ

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2013.5.25

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徳之島に行く!?

そもそも、徳之島でトライアスロンの仕事を始めたのは、自分で納得いく就職先に内定がとれなかったからです。4年生の12月頃まで、就職が決まらなくって。僕たちの年は特別就職難でした。2年9月にリーマンショックが起きて経済環境が悪化、4年の3月には東日本大震災が起きて激動の年だったんです。指導教員に相談したら、「じゃあ島に行ってみるか」って言われて。僕がまだ迷っている間に電話されちゃったんです。「島でトライアスロンの仕事を経験させてほしい学生がいるんです。ヨロシクお願いします」。僕の目の前で話が決まっちゃった。今思うと、積極的に動けていなかった僕の背中を押してもらった。いいキッカケになりました。
 両親や身近な人に相談しました。実家を出て鹿児島に移住して生活する。大きな変化ですから。幸いみんな賛成してくれました。僕自身が一番不安だったと思います。そしてスグに先生と徳之島に行きました。到着した日は島を案内してもらいました。3月の中旬でしたが天気が良くて、海が凄くキレイでした。コンビニは2件しかないけど、100円ショップがあって、今まで育ってきた埼玉とは違うけど、圧倒的に違うから順応できそうだなと感じたんです。
 徳之島2日目の午前中に町長に面接してもらって即決でした。自分でも全く予想していない展開でしたけど、ホントによかったと思います。こんな大きなトライアスロンの大会を、主催者側で経験出来るなんて出来ないことです。背水の陣だからこそ決断できた。ピンチをチャンスに出来たんです。

トライアスロンの仕事

SHINA01.jpg 本当に勉強になっています。スポーツ・マネージメントといよりは、「大人」として色んなことを島の人たちに指導していただいています。徳之島は1週80キロくらいの小さな島、人口は27,000人。鹿児島から船で13時間。九州よりも沖縄に近い位置にあり「離島」です。僕が育った埼玉とは何から何まで違いました。電化製品が壊れたらスグに家電量販店に持っていけばいい便利さはありません。そのせいもあって島の男は強いんです。少しくらいの故障は自分で直す人が多い。自分で出来ないことと、出来ることを明確に解って行動している。周囲に依存しない、「自立」という言葉を超えた強さがあるんです。そういう人達と毎日仕事をしていると、自分の未熟さを痛感することばかりです。
 トライアスロンの仕事は、何から何までやります。参加者の名簿をパソコンに打ち込む所から、レース前にコース上にパンクの原因になるような異物が無いかどうか確認することまで。本当に手作りの大会なんです。所属は天城町観光水産課。ですからトライアスロンの事だけやっていればイイわけではありません。町民の運動会や、秋のお祭りなど、何でもやります。台風の後には町の中を回って、町が管理している公園や施設がダメージを受けていないか確認して、木が倒れていればその片付けもします。業者に電話して終わり。そんな「お役所仕事」はここにはありません。
 徳之島トライアスロンは、スイム2km、バイク75km、ラン21km。朝の8時にスタートして最終ゴールは16時まで、丸一日の大会になります。この大会の後にこの大会名物の「どんちゃんパーティー」が開催されて、夜の10時位まで参加者もボランティアしてくださった島の人々もみんなで、飲めや歌えの大騒ぎをする。トライアスロン完走した後に、そんなに騒ぐ元気があることに驚きます。トライアスリートの皆さんは本当にパワフルです。徳之島トライアスロンは、1人でスイム→バイク→ランと完走する方と、リレークラスといって、走る担当が1人、自転車で走る担当が1人、21キロ走る人が1人と3人で競技を分担して参加するクラスもあります。リレークラスは60組しか参加出来ませんが、毎年盛況です。みなさんゴールの時に3人で手をつないで満面の笑みでゴールテープを切ります。

大学時代の就職活動

 大学3年生の12月から就職活動が解禁になって、いくつも会社を受けました。子供のころからずっと野球をやっていたので、スポーツ関連の会社ばかり応募していました。メーカーから小売店まで様々です。スポーツなら何でもいいわけじゃありませんでした。野球という軸は外せませんでした。僕はサッカーに関する知識はあまり無かったんです。興味がありませんでしたから、大学の中にいても僕より知識が豊富な学生が大勢いるのに、就活の場面で僕が勝ち残れるわけがない。スポーツのなかでも野球にこだわってしまった。21歳の僕にとって、スーツを着たサラリーマンになることが考えられなかったんです。嫌だったわけではありません。抵抗していたわけでもありません。なんていうか最初から圏外だったという感じでした。
 もちろん就職活動は難航しました。ただでさえ応募した会社が少ないのに、どんどん不採用通知が来ました。「今後のご検討をお祈りいたします」いわゆるお祈りメールがどんどん溜まっていきました。夢や希望が次々に目の前から消滅して行く中で、モチベーションを維持することが出来なくなった時期もありました。第一希望の会社からお祈りメールを受け取ったあとしばらく、就活を休んだりしました。今になってみると、なんとも情けない話ですが、社会に拒絶されているみたいな気分になってしまったんです。
 もし、あの苦しかった就職活動の最中に、納得は行かないけれど、ボチボチの会社から内定をいただいていたら。と考えるとゾッとします。きっと僕自信「好きなことを仕事に出来る人は少ない」とか何とか自分自信に言訳をして、ボチボチの会社で頑張ろうとしたと思います。同期の友人は「満足はしていないけどがんばる」と言って入社した会社を1年も勤めることが出来ずに退職してしまいました。僕の場合は、納得行かない会社からも内定が出なかった。今になっては、それがラッキーだったんです。
 スポーツにこだわったことは、間違いだったかも知れません。もっと広い視野を持っていたら就活で苦しまなかったと思います。ですが、こだわっていなかったら徳之島に来ることは無かったでしょう。トライアスロンの仕事をすることも無かったでしょう。結果的に今、素晴らしい経験をさせてもらっています。納得行かないまま、サラリーマンになっていたらこんなに充実した日々を過ごすことは出来なかったでしょう。安易な道を選ばなくてよかったです。妥協しなくて本当によかったと思います。

やりがい

 この仕事の最大の「やりがい」は、皆さんの笑顔が見られることです。僕たち実行委員が寝る時間も惜しんで、汗だくになって大会を運営する。僕たちの作った大会で600人近くの人達が、本当に充実した顔を見せてくれます。完走しないと出てこない最高の笑顔です。日常生活では見られないとびっきりの「笑顔」です。トライアスリートの方々も、そのとびっきりの「笑顔」の充実感を知っているから、来年もまた来てくださるんです。
 島民の皆さんもこの大会を楽しんでくださっています。80歳を越したおばあちゃんが暑い中、コース脇に陣取って走り抜けていく選手に1日中声援を送っています。おばあさんたちに聞くと、「毎年楽しみにしている」という答えが帰って来るんです。よく見ていると、お花見みたいなんです。近所の人達がタッパに詰めたおかずやお菓子を持ち寄って、沿道にパイプ椅子を並べて、黒糖焼酎をちびちびやりながら選手に「がんばれー」と声を掛ける。選手の中には島民もいますので、知っている人も走ってくるんです。学校の先生とか、消防士の方とか。子どもたちは家からホースで水をひいてきて、選手にシャワーの様に水を掛ける。こういった一連のイベントを楽しんでくださっています。
 選手たちから、「沿道のみなさんの声援があったから完走できました」という声をよく聞きます。最後のランで疲れ果てて歩いていると、島民の方々の声援が聞こえてくる。子どもたちが駆け寄ってきてバナナや氷を手渡してくれる。そうすると自然と走りだしているそうです。島民の応援は500mおきにあるので、リタイヤしようと考えるヒマが無い。そうしている間に、残り3Kmとか2Kmとかの表示が出てくるんだそうです。
 この島民と選手の両方が楽しんでいるのに、お互いを支援し合っている。凄くイイ関係なんです。それを影で支える仕事が出来るのって、本当に嬉しいです。

大学生へのメッセージ

 大学3年生になってもやりたことがハッキリしない。そういう状態に慌てることは無いと思います。やりたい事が、明確過ぎてそれ以外の仕事を拒絶するようになっているより、ずっとイイと思います。僕は就活で苦しみましたが、大学時代に「やり残した」ことはありません。野球も精一杯やったし、勉強はあんまりでしたが、友人と飲み明かしたことも、バイトに明け暮れたことも、恋愛して女の子に振り回されてこともありました。特別なことは出来ませんでした。でもスッキリしていますし、いい大学生活だったと自信も持っています。なんていうのか「未練」みたいなものを残さないこと、でしょうか。「俺はもっとサッカー出来たのに監督が評価してくれなかった」とか、「色々経験したかったのに時間がなかった」とか、見方によっては「いいわけ」みたいなものを卒業後にブツブツ言う様な大学時代を送って欲しくないですね。
 目の前の事を必死にやる。遊びも恋愛も、何もかも。それだけですね。

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