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尚美学園大学 総合政策学部 ライフマネジメント学科 スポーツコース 江頭ゼミ

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2017.XX.XX

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スタートは映像番組制作

 東京芸術大学大学院を卒業するタイミングで、写真か映像に関する仕事がしたかったんです。写真は一人でも出来ますけど、映像は何人かのチームを組まないと制作出来ません。ディレクター、カメラマン、音声、照明、編集などその分野のプロが集って協力して創り上げます。そのチームで制作するスタイルに魅力を感じて映像の制作会社に入社しました。その会社が制作していたのは「会社紹介ビデオ」でした。それは新入社員を募集するために会社を説明するビデオで、社長のコメントや、会社の歴史や、有能な社員が登場するものでした。

 ビデオはただ単に、カメラを回せばいいわけでなく、まず取材から始めます。採用担当・広報担当の人にインタビューや打ち合わせをし、どういう学生が欲しいのか聞く。それにあわせて、どういう職場・業界・業態なのか、働いている人はどんな人たちなのか話を現場に行って担当者に聞きます。そこから会社の全体像がみえてきて、どう伝えるか考えて練りこんで台本をつくる。そこから予算をたて、機材、出演者、カメラマン、日程など全部計画してからスタートするような仕事でした。すごく地味な業界でしたが最初の着地点としてよかったと思います。取材を最初にまず経験したこと。現場でカメラを回すだけではなく、リサーチして、色々な人に話を聞いてから始まる。まわりまわって今の仕事のベースになっています。

転職をして得たこと

 会社案内ビデオ制作会社から転職をして、サッカーの情報番組の仕事を作る映像制作会社に入りました。ちょうどJリーグが開幕して2年目くらいのタイミングで、最初に行ったのが日本代表の直前合宿の取材でした。カズとか井原を始めてその時間近で見たのを覚えています。キリンカップの直前で、アルゼンチンとフランスが来日する予定だったのですが、アルゼンチンは薬物事件を起こしていたマラドーナが入国できなくなったことで、直前になってボイコットを表明したんです。事前に撮っていた映像が全部使えなくなって、最初から作り直して徹夜で納品したのが最初の仕事でした。サッカーの情報番組ってすごく華やかな世界っていうイメージが最初はありましたけど、実際体験してみて突発的なことが起こると、いかに大変かっていうのを転職して一発目で経験しました。大変なところに来ちゃったなと。ただその番組を創るとによって、番組制作の会社に転職してから、サッカーに仕事として関わるようになりました。それが今の仕事に続いています。

出版

 1998年のW杯予選にボスニアヘルツェゴビナが初めてエントリーしたというニュースを見て「これだ!」と思い企画書を提出しました。「面白いけど誰が見るの」と社長に言われました。テレビは多くの人が興味を持つ番組が評価される業界です。その時、自分はテレビ業界には向いてないんだなと感じました。本当に興味があることを自分で取材して本にするしかないと思ったんです。自分にとって大きな決断でしたけど、旧ユーゴスラビアに自費で行って取材をしてきた事がチャンスをつくりました。その取材成果が評価されて、出版社や編集者に出会え、一年後に出版にこぎつける事が出来ました。運というものは転がっているのではなく、掴みに行かないと手に入らない痛感しました。今の自分のスタイルはこのデビュー作が基礎になっています。

スポナビのレギュラー

ustunomiya-2.jpg 本を出しても生活は安定しませんでした。会社に就職してしまうと、海外取材に行けなくなるので、フリーでいようと決めていました。スポナビはネットのスポーツメディアで、世の中が雑誌や新聞からネットに移り変わる黎明期の2000年にスタートしました。私は運良くこのスポナビの立ち上げに参加することが出来ました。2002年の日韓ワールドカップを取材してスポナビで配信したら、私の記事に読者がついたんです。ありがたいことに私の文章を評価してくださった。

それまで私は雑誌や新聞で売れていなかったことが幸いしたと思います。当時売れているスポーツライターは、雑誌や新聞で書いていましたが、そういった実績がなかった私は業界のしがらみもなかったし、雑誌や新聞のスタイルにもいい意味で染まっていなかった。だからこそ、身軽にネットメディアに参加することが出来たんだと思います。早い時代にネットメディアに転身し、多くの人に読まれているという事を経験できたのは、私にとって2つめの幸運です。

当時のネットメディアはすごく自由で、若いけれど才能に溢れている人が大勢いました。ネットに集まってきた人達は、それまでのメディアの常識やしきたりを知らなかったと思います。その自由な環境の中で、私も自由に書くことも出来ました。その上レギュラーで記事を書くことで、フリーライターとして生きていくベースになりました。それは本当に貴重で幸運なことでした。

本の特色

 他のライターと違う視点でサッカーを表現したいのです。2002年の「ディナモ・フットボール」は旧共産圏から見た当時は競技力の高い国からヨーロッパサッカーを見ると、プレミアとかセリエAなど日本でもよく報じられているヨーロッパサッカーと違う景色が見えてきます。それを描きたくて本にしました。2008年の「股旅フットボール 」Jリーグが掲げている100年構想を、J1のチームから見るのではなく、日本サッカーのピラミッドの中央部分に位置する「地域リーグ」から見てみると、どうなっているのかを描きたかったのです。この様にあまり報じられていない題材を取材する時には、私なりに仮説を立てます。取材に行き、現場で汗をかいている人に話を聞くと、私の仮説と違う事がよくあります。これが面白い。思ってもいない現実に触れるのって、すごく面白いんです。私は書き手として、自分が面白がらないと、読み手も面白く思ってくれないと考えています。その結果、サッカーファンでは無い、あまり興味の無い人にも読んでもらって、サッカーに関心を持ってもらえてば最高だと考えていいます。

宇都宮さんが愛情をもってサッカー文化を広げようと考えている理由

一つはサッカーに対する恩返しです。今の仕事をしていなかったら、いろんな国に行ってさまざまな異文化と触れ合うこともなかったし、さまざまな素晴らしい人たちとの出会いもなかったと思います。日本代表になるまで努力をしてきている人からは、学ぶことが沢山ありますし、地域をサッカーで盛り上げようとしている人も魅力的な人が多かったです。彼らにインタビューをする事が出来たのは私にとって財産です。

学生がサッカー関係の仕事に就くには

新卒でJリーグのクラブで働ける事は、あまり無いのが現実ですね、就職は最初ちゃんとしたほうがいいと思っています。別にスポーツじゃなくてもいいと思います。社会的な常識をしっかり身につけた方がいいです。ビジネスマナーとか電話の応対のしかたとか、エレベーターの乗る順番とか、名刺の渡し方とか、僕が最初に入った会社でありがたかったのは、礼儀やビジネスマナー講習を受けさせてもらえたことです。そして仕事の進め方をしっかり理解することです。取引先との関係づくり、外注スタッフと協力の仕方、クレームの対処など、ビジネスマンとして充分な経験をしてから、スポーツ業界に行くべきです。

新卒でスポーツ業界に就職出来ないことを悲観する必要はありません。それには2つの理由があって、1つめはスポーツ業界よりも就職した会社の仕事のほうが合っている可能性があるからです。2つめは、それでもスポーツ業界に転職したければ努力をする筈です。その努力の過程で、機会を引き寄せるチカラを見つけられるからです。

スポーツ業界の仕事に就きたい人は、「僕はスポーツで飯が食いたいです」って事を、しっかりといろんな場所に事あるごとに言うことが、チャンスを作ると思います。言ってみると、その人から何らかのアドバイスを貰える可能性があります。そうすると、漠然とじゃなく、希望はどんどん明確になって来るはずです。いろんな人にあって、話してみることが運を掴むことに繋がると私は思います。

日本のスポーツ文化

スポーツビジネスで一番足りないのが、書き手に生計を立てるのに充分な報酬を提示していないことです。書き手は安い報酬でどんどん使い捨てにされているのが現状で、やめていく人が多いです。文字を媒体としてスポーツを楽しんでいる人は多いですから、上質で深い文章を提供する必要があると思います。そのためには書き手を続けられる環境を作らないといけない。私は何とか20年やっていますが、この後わからないです。日本のスポーツ界が豊かになるってことは、業界内にきちんとお金が回ってアスリート自身やチームに関わる人たちが、それなり以上の生活ができることだと思っています。そして、フリーランスの立場で取材し、伝えていく人たちもまた、その恩恵がきちんと享受できるようにならないと、本当の意味で「日本のスポーツ界が豊かになった」とは言えないでしょうね。本当の豊かさが実現するには、まだまだ改善すべきことが少なくないように思います。

<取材・編集/荒井 涼、佐野 彰 真部 翼、横川 凌太